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2019年3月31日 (日)

松原工房代表・おくだから最後のお便り

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奥田容子です。北海道上川郡下川町におります。

3月31日日曜日、外の気温は-8°
窓からみえる景色は雪が真白で空は青く、
静けさと明るさの世界の中でこのブログを書いています。

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どうしたら大きい傘下に入らずに、自立できるか。
身長147cmしかない日本人の女がどうやったら皆と対等に,自由に生きて行けるか。

私がずっとしてきたことは、
大学で学んだ「自由自治」のスピリッツを実社会で実践する事だったのだ、と思います。

 

この10数年はブログやSNSが発達した時代だったので
はからずも時代の恩恵を受けることができました。
インターネットは自由のためのツールです。
誰の検閲も編集も受けず、こうしてみなさんに直接、声を届けられたり、思いをつなげることができました。
それが自立につながりました。
これまで無料で使わせてくれたココログ、ありがとう。
ずっと読んでくれて本当にありがとう。

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私は変化を恐れません。
いえ、正確に言うと私だって変化は怖いです。
でも恐れないようにしたいと思います。

時代は、よくなっています。
あんなこともこんなことも10年前にはできませんでした。

父は21年前にガンで亡くなりましたが、本人告知のされない時代でした。

自分の死を自分で承知できないというのは
さぞ悔しい事であっただろうとおもいます。

 

とどまることは簡単です。
日本ではそれが価値につながります。すぐ老舗になるし。
我慢することは可能です。
ことさら女性はそれが美徳とされます。

 

けれど私は自由に生きていたい。
美しいもの、楽しいことをどこまでも追究し、
先人に学び、勉強し、あとから来る女の子が
少しでも楽になるように、道を切り開きたい。

それが人間の使命だと信じるからです。

食器の道を選びました。
ひとがものを食べるかぎり、かならず暮らしによりそう道具です。

時代や文化を如実にあらわすツールです。
時代や文化をよく見つめながら、
けして迎合しない、リードするようなものを作りたいと願ってきました。

でないと私たちの道具はマーケティングによって決定されてしまう。
安いとか、流行とかで惑わされ、
どこかの誰かのお得になってしまうような消費は、最後には全員を苦しめると思います。

服を選ぶように軽やかに食器を選び、日々の家事をラクに、楽しくするもの。
日本の陶磁器生産の歴史や技術を映し出すもの。
そんな食器をつくりたい、とおおたさんに
京阪電車特急の中で話したことを昨日のことのように思い出します。

すぐにその気持ちをわかってくれるたくさんのお客さんに支えられました。
やりたいことをやりきりました。とても幸せです。夢は叶いました。

生産者の目を離れない作り方で、手の中に収まる販売網を作りました。
毎日毎日必死に作り、必死に売り、発信してきました。
とても楽しかった。
けれどもこのやり方では心身ともに本当に消耗し、
長生きできないということがわかりました。
持続性がないスタイルは、もう時代遅れだと思います。

2014年頃から心身ともに本当に余裕が無くなり、
お客さんからいただく愛情や声掛けさえも負担になってしまうような日々でした。
スタッフや身内に暴言を吐いたり、壁を蹴破ったり、モノを投げたりしていました。
現場を目撃してしまったお客さんもたくさんおられますが、
その方達が今でもお客さんでいてくださることが
本当にありがたく、恥ずかしい気持ちでいっぱいです。

子どもにその矛先が向かないうちに、環境を変えなくてはいけません。

少し整えて、休んで、
新しい時代の奥田容子を楽しみにしていて下さい。

やりたいことをやりきりましたが
まだまだやりたいことはたくさんあります。
北海道は日本ではありません。
行政は日本ですが、ここはアイヌの土地です。
違う文化と気候の中でもう一度、クラフトを
見つめ直すような仕事がしたいと思っています。

世の中を斜め下から睨みつけることしかできなかったフリーターの私たちを
食器屋に、一級技能士に、伝統工芸士に、社長に、人の親にしてくださったのは、
このブログを読んで下さっているみなさんです。
松原工房のお客さんにはたくさんのことを教えていただきました、
応援というものがこんなに力のあるもので
応援している本人たちにもエネルギーを与えるものなのだと、
私ははじめて知りました。
落ち着いたら私も誰かのファンクラブに入りたいと思います。

最後に名前を出してお礼を言いたい方がいます。
えこひいきお許し下さい。

Kae

母たえこ。
いつも苦しい時に資金援助してくれました。
ずっとブログを読んで、応援してくれました。
開業時、「最初は小さい店が大きなって行くんがかっこいいんちゃうか?
ほら、アップルゆうの?。あれかて最初はガレージやったんやろ?」

あの言葉がその後の道を決めました。
私も子どもに金と金言(のみ)を与える親になりたいと思います。がんばります。

 

オランダの花やさんのまいちゃん、ムックのおかちゃん。
他人や社会のために仕えるのが仕事だという事を、2人から身を以て学びました。
そしてしっかり身を守らないと死に至るということも教えてもらいました。
生きて行くことは、美しく、そして厳しい。
ありがとう、一生仲間です。

 

ヒイラギのかえちゃん。
小売りのド根性、店を守る気概などを
2人で教え合いながら、お互いのステージアップをしてきました。
たった一人で店を切り盛りする姿は、近未来の私だ、と
かえちゃんからすべてを盗み取るつもりで接していましたが、惜しげもなく見せてくれてありがとう。
仕入れ先や掛け率や売上まで共有できる仲間はこの先もなかなか現れないと思います。
本当にいろいろありがとう。かえちゃんのおかげで次に行けます。
顔も似ているのがなんか面白かったです。
若く見えますがまあまあ年なので、体には気を付けて下さい。

 

そして私の周りには何人もの
「止めない男」がいて、彼らが私を走らせてくれました。
(大竹しのぶみたいでかっこいいでしょう)

ごはんを作って育児をしてくれたさのさん。
さのさんはすごいですが、さのさんの両親が男女平等主義者だったのが
そもそもだとおもいます。いい息子にしてくれてありがとう。
次のステージは一緒にがんばりましょう。

 

波佐見の父、ゆいちゃん。
近くのお世話焼きのおっちゃんでしたが、地域社会でうまくやる技術をすべて教えてくれました。
時に本気でぶつかった時は、必ず私の意思を尊重してくれました。
いつも波佐見町民に私たちの事を自慢し、よそ者を大事にしない社会に未来はない、と大きな声で
叫んでくれました。
私が結婚した時期はおおたさんをしょっちゅう食事に誘い、
おおたさんの伝統工芸士認定の時にはなぜか私を褒めちぎってくれたり
常に2人がバランスをとれるよう気遣ってくれました。

ゆいちゃん自身は九州男児そのものなのですが、なぜか私には女らしくしろというようなことは一言も言わず、
「工房に簡易ベッドを置け。そしたら家に帰らず仕事できるぞ」というアドバイスを
真顔でしてくれた時は爆笑しました。当時私は新婚だったのですが。
ゆいちゃん自身も猛烈に働いた時代があった人だからわかってもらえたのだとおもいます。
ゆいちゃんは長年のツケを払うように、体のいろんなところに不具合が出ています。
どうか、穏やかに、体に痛みがでないよう、元気でいてくれることを心から願っています。

 

経営も経理もグッチャグチャの私がいつも真っ先に相談していたのは
司法書士くらしなさんと税理士せがわさんの男子でした。
彼らは専門知識があり、かつ私のファンであってくれました。
大事な時にはいつも「止めない」言葉をくれました。
「何かの時は、自己破産手続きをはりきってしてやる」
「こんなお店、ほかにない。よくがんばりました」
士業とは現代のサムライであります。守ってくれてありがとう。

 

それから松原工房のハスのデザインと初期ロゴのデザインは
宮本卓郎君でした。2007年に自ら命を絶ちました。
遺書に残された「幸せになって下さい」のメッセージを
私たちは果たしましたよ!来世でまたあおう。

 

そしておおたさん、

お互いの真の価値がわかるのは
たぶん10年後だな、またあおう。

 

死ぬなよ。

 

松原工房
奥田容子

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コメント

千秋楽が終わってしまってからもう一度松原工房のクロニヒルを振り返りたくて「千秋楽 メモリアル VTRとおくださん・おおたさんが書き綴られたココログ」を何度も見直していた1週間でした。感動して涙するところをお二人の文才に失礼ながらクスッと笑ってしまい自分でも大変びっくりしてしまいました。今までに出逢った事のない不思議な感覚で頭からずっと離れずその答えを考えておりましたが、ようやく考えがまとまりました。おくださん・おおたさんのユーモアと魅力、松原工房の偉大さだと言う事を。おくださん、ありがとうございました。 平成31年3月31日 日曜日

投稿: 会員番号 948 | 2019年3月31日 (日) 23時59分

奥田さんの手で描かれた松原工房の器たち、何度カワイイと言ったことか。
自分の語彙力の無さに呆れながらも、何度でもカワイイと言いたくなる器たち。
大好きです!
日本一カワイイ食器屋さん。
まさにその通り!

奥田さんの面白いブログもファンを大切にしてくださる姿勢も大好きです!

千秋楽も命を削ってはるんちゃうか?と心配になりながら…最高のものを届けようとしてくださる姿に感激でした。

色んな所が大好きでした!
後にも先にもこんなにも大好きな食器屋さんは出てこないのではないでしょうか…。

ん?北海道、アイヌの地での奥田さんの食器屋さんもめちゃんこカワイイのかしら?
次なる可愛い食器屋さんはそちら? 笑
どんな食器屋さんになるのかワクワクします!
これからの奥田さんのご活躍心から楽しみにしています!

素敵な器をありがとうございました!

投稿: 大森 | 2019年3月31日 (日) 23時50分

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